
Groover’s Voice vol.5 山下昌良(ラウドネス) クルマで聴いて気持ちいい曲、 というのはすごく意識してますね。
聞き手/島下泰久 写真/三浦孝明
クルマは心置きなく聴けるリスニングルーム
―― 山下さんご自身とクルマとの付き合いについて、教えていただけますか?
「クルマは18歳の頃からずっと乗ってますよ。30年前、ラウドネスに入って東京出てきたときは、駐車場代がめちゃくちゃ高かったんでクルマは大阪の実家に置いてたけどね。当時はエスティマでしたね。釣りが趣味なんで、道具をいっぱい積み込んで。今も大阪に帰省するときはクルマだね。やっぱり釣り竿持って、そこから九州行ったり和歌山行ったりしてますよ。
――車内では音楽を聴きますか? カリスマ的ミュージシャンがどんな音楽を聞いてらっしゃるのか興味があります。
「もちろん、いつも聴いてますよ。聴くのはハードロック以外(笑)。好きなのはTOTOとかBOSTONかな。あとはビートルズ。ヘヴィメタルはあまり聴かないんだけど、いざ聴くときはゴリゴリで、気分爽快なやつを(笑)。高速では、家では聴けないくらいのボリュームでね!」

―― クルマはリスニングルームですからね。レコーディング中はラウドネスの曲を車内でチェックしたりもしますか?
「しますねぇ。高崎さん(LOUDNESSのギタリスト、高崎晃)もそうなんだけど、じつはクルマで聴くのを前提として作ってるんですよ、わりと。家でデッカい音を出せる人って、そんなに居ないでしょ。だからラウドネスの曲もクルマに乗って聴く、という人が多いと思うんです」
―― 音作りの段階で、クルマの中でどう聴こえるかということを意識されているんですね。
「曲自体もね、クルマで聴いて気持ちいい、というのは考えますね。疾走感のある曲とかね。たとえばディープ・パープルの『ハイウェイスター』なんか、飛ばしたくなるでしょ。“ここをこうやったら、もうちょっとスピードに乗れるんちゃうか”とか“ここにはブレイク(曲中のアレンジで演奏を止める箇所)入れない方がいいんちゃうか”なんていうのはすごく考える。ライブでノリやすいっていうのとクルマで聴きやすいかっていうのは意識するね」

樋口宗孝さんに勧められて
―― 今日は取材場所までクルマで来ていただきましたが、このBMW X1は代車だそうですね?
「愛車はBMW 2シリーズのグランツアラーなんですが、ちょうど点検に入ってて。今のクルマって、きちんと定期点検受けないと警告が出てうるさいから(笑)。で、こういう時にディーラーの担当セールスが「Xシリーズ(BMWのSUVシリーズ)乗ったことありますか?」なんて勧めてくるんですよ。じつは以前、“ディーゼル乗ったことない”って言ったら持ってきくれて、乗ってみたら“トルクがグワッと出るのがいいなぁー”と思って、いまはディーゼルに乗ってるんです。まんまとハメられてます(笑)。
―― BMWに乗られるようになったきっかけは?
「樋口っつぁん、(故・樋口宗孝氏、LOUDNESSの初代ドラマー)がビーエム好きで。彼がずっとクルマを買っていたのが、いま世話になっているディーラーなんです。その縁ですね」
―― 樋口さんからのご縁なんですね。樋口さんのクルマ好きはファンの間でも有名でした。たしか6シリーズのカブリオレに乗られていたのを、どこかで拝見したことがあります。

「それこそ車検の度に買い替えてたんちゃうかなあ。樋口っつぁんはいろんなヤツに“オマエ買え、買え”って勧めてたから、そのBMWのディーラーは樋口さんが紹介した客、山ほど居るよ(笑)
―― 山下さんご自身はクルマに対しての興味やこだわりは?
「とくにクルマに詳しいって訳じゃないけど、嫁も運転するし子どもも小さいから、安全性の高いのがいいなあというのはあって。BMWはブレーキがいいし、小回りも効くから安全やなと思って。見た目よりそこが一番かもしれんね。たとえばUターンするときにもグルンッて1回で行ける。そういうのをいちど味わってしまうと他には行けないよね」

BMWを乗り継いでいるわけ
―― じゃあBMWを乗り継いでいるんですね?
「いまので3台目かな。ボクは樋口っつあんと違って乗り潰す方だから。1台目は3シリーズ・クーペ。でも子どもが産まれて、フロントシートを倒して後席にチャイルドシートを載せようとしたときに“腰痛いなあ”と思って。これからいろいろ積むものも増えるやろうしと思って、ステーションワゴンの3シリーズ・ツーリング乗り換えた。それは10年乗ったな。いまのグランツアラーは7人乗りが決め手だった。子どもが野球をやってるから、試合行く時に必要でね。後席はホントちっちゃいけど、でもいざって時に7人乗れるというのは大きい」
―― すごくまっとうなクルマ選びです。そして1台に長く乗られるんですね。
「ツーリングもまだまだ乗ろうと思ったんだけど、14万kmくらい走ったんかな。だいぶオイルが減るようになって。5000kmくらい走ったら足さないといけない。そうしたら例のディーラーのセールスから電話がかかってくるんだよ。“ディーゼルモデル、いまならお安くなりますよ”って(笑)」

―― クルマは道具として付き合う、という感じでしょうか?
「そうやね。でもぜんぜん使いこなせてないけど。いまどきのクルマは機能が多くて覚えるのがタイヘンだよね。“アダプティブ・クルーズ・コントロール”とか、せっかく付いているのに使ったことがない」
―― ええ!そうなんですか。大阪までクルマで帰省されるなら、絶対使ったほうがいいです!スイッチ押すだけですし……。
「えっ、それだけでいいの?! いやあ、ほんとに疎いんで……。ちょっとランプついただけで、説明書出して“なんだろう?”ってやってますよ。カーナビなんかも、ほんとは前のクルマに付けてたやつを付けかえて使いたかったぐらいで……。
―― いやあ、われわれからすると、楽器やアンプ、エフェクターもいろいろ調整するところがあって難しいと思いますが……。
「まあ……。でも音楽の機材は単純だからね。いじれるところ、ツマミだけだから!(笑)」
83年のアメリカ・ツアー、それがすべての始まりだった。
―― ラウドネスといえば特にここ数年、ライブの本数がかなり多いなという印象です。数えてみたところ、今年の3月から8月までにフェスなど含めると27本入っています(注:2月中旬の取材時点)。
「海外が多いですね。そういうのも含めて、ちょっと体力をつけておかなきゃって、じつは1年くらい前からジムに行きはじめて。ずっとやっていなかったんだけどね。僕、お酒好きなんですよ。で、血圧も高いんです。でも薬飲みたくないし、酒もやめたくない。じゃあ、運動するしかない!と(笑)」
―― 山下さんはステージ上でも、“縦横無尽”によく動かれているなあ、という印象です。やっぱり鍛えているんですね! じつは先日この「Sound Groover」で“80年代J-ROCK人気アンケート”を行ったところ、ラウドネスがベスト10に入りました。そこで伺いたいんですが、80年代の音楽シーンを経験されたなかで、印象深いことって何がありますか?

「80年代と言えば、やっぱりアメリカツアーかな!デビューのときから“絶対に海外で通用するバンドにしていこう”って言ってたんでね」
―― ラウドネスのデビューは1981年。初の海外公演は83年7月にアメリカ西海岸で行なったというライブツアーですね。
「最初はメンバー4人と当時の事務所の社長の5人で、いきなりサンフランシスコに行ってね。ロスとあわせてライブハウス4ヵ所でやったかな。そのときは向こうのレコード店が呼んでくれたんですよ。“輸入レコードショップでラウドネスがえらい人気だから、これならお客絶対来るぞ”って。じっさいどこの会場も400〜500人は来てたもんね、インターネットのない時代だから、ぜんぶ口コミだよね。それで次の年にはロスのカントリークラブ、1000人以上入る会場でできるようになった。で、そのライブを当時のアトランティックレコードのディレクターが観てて「こいつらイケる」ということで、所属していたコロンビアにオファーがあったんです、“アメリカでレコード出さないか”って。83年にライブに行ってなければ、そんなオファーもその後の全世界発売もなかったわけだからねぇ」

日本のロックバンド初のビルボード入り
―― 1985年に発売された「THUNDER IN THE EAST」は当時のビルボード全米チャートで74位を獲得。これは日本のアーティストとしては坂本九の「上を向いて歩こう」以来の快挙で、日本人のロックバンドとしては初。いまだったらYouTubeなどもありますけど、この時代のアメリカ進出、そしてチャートインは相当なことですね。
「83年にはヨーロッパにも行ってた。オランダ、ドイツ、イギリスなんかに行くと、街中に“日本からラウドネスがやってくる!”という“捨て看”がいっぱい貼ってあったよね。でもそれだけやもんね、宣伝って」
―― 当時はみんな情報に飢えてたから、レコード店やライブハウスに「何か新しい、面白いアーティストはいないか」と思いつつ、通っていた気がします。
「そうそう。イギリスの地方では、お客さん30人くらいしか居なかったなんてこともあったけど、大抵はすごく盛り上がってくれてね。まあ、日本のバンドなんて滅多に来ないから、あっちの人にとっては“外タレ”やから(笑)」

―― そのあとバンドは紆余曲折があり、山下さん自身もいったんはラウドネスから離れたこともありましたが、2000年に再びオリジナルメンバーが集結します。そして10年前くらいからは再び海外でのライブが増えていますよね。オーディエンスの反応は、やはり昔とは違いますか?
「じつはいまのほうが忙しいっていうか、需要があるというのかな。いまはインターネットがあるから、昔よりもっとやりやすいよね。だから初めて行く場所がどんどん増えていくんですよ。去年はアジアを結構回ったんだけど、たとえばインドネシアでも、ジャカルタは行ったことあったけどバリには行ったことなかった。それが去年はバリのハードロックカフェでやったんですよ。それと香港、韓国、中国は行ったことあったけど、台湾は去年初めて演った。今年はメキシコやポルトガルでフェスが入ってるけど、それも初めてだね。

いちばん熱いのは北欧のファン
―― オーディエンスの反応は国によって違いますか?
「じつはいちばん盛り上がるのは北欧。ヘヴィメタル好きの割合は北欧がナンバーワンで、次がドイツかな」
―― 海外のバンドとの交流はありますか?
「おー、あるある、めちゃくちゃあるよ。新しいところだとオーペス(OPETH)というスウェーデンのプログレのバンド、いろんな所で会うんで去年フィンランドでも飲んで、昨年12月に来日した時には観に行ったりもして。古いところではモトリー・クルーとか。2〜3年前にどこかの国の楽屋ですれ違ったとき、ベースのニッキー・シックスに「覚えてるか?」って言ったら「おお、覚えてるよ。けどオマエえらい変わったな」って言われた(笑)」
―― 世界でも、ラウドネスという存在はリスペクトの対象になっているんですね。
「当時珍しかったんやろうね、日本人だったし。タッカン(高崎 晃氏・ラウドネスのリーダーでありギタリスト)はギター死ぬほど上手かったし。まあ、今も上手いけど、当時は若かったからね。『ギター・マガジン』に“エディー・ヴァン・ヘイレン+寿司=高崎晃”とか書かれてた(笑)。衝撃だったと思いますよ」

「カッコいい」と思う音楽をやり続ける
―― ラウドネスの往年のヒット曲はたくさんありますが、いっぽうでオリジナルメンバーで復活したあとも、サウンドはどんどん変わってきていますよね。個人的には2014年の「THE SUN WILL RISE AGAIN 〜撃魂霊刀」をリリースしたとき、すごく新しいのに、間違いなくラウドネスの“音”で、スゴい!と思ったんです。こうした変化、進化っていうのは、どんなふうに起きている、起こしているんですか?
「じつは」そんなに深く、難しく考えているわけじゃなくて、その時に“いいな”と思うのをやるだけです。それこそフェスとかで“このバンドいいな”とか“こんな曲カッコいい”とか思って、影響受けることも多い。むっちゃ単純、若い子と一緒ですよ(笑)。たとえばメキシコのフェスって、お客さんが7万人くらい来るんですよ。そういうフェスで知らないバンドとか観て“わあ、”こんなカッコいいんや”とか“こういう曲、盛り上がるなあ”とかなってね、それで“じゃあ、こんな曲作ってみようか”ってね」

―― 伝説のバンドではあるけれど、まだまだ進化し続ける、変化し続けるというわけですね。では、そんなラウドネスの今後の予定を教えてください。最初に話しましたが、今年もライヴが多いですよね。
「これからツアーですね。それと海外フェス。今年も100時間以上飛行機乗ることが決定しとるからね。もう、何回海外行かなあかんねんっていう(笑)。ライヴは海外のほうが全然多いですよね、国内はツアー1回しかやらないから。ツアーがないときは遊びのライブもちょこちょことっと入れてますね。予定が何もないとベース弾かないから、感覚が鈍らないようにね!」
※注:ツアーの予定などはすべて取材を行った2月現在のものです。現時点で中止および変更になっているものもあります。
Masayoshi Yamashita
1961年生まれ。大阪府出身。1981年、「LOUDNESS」のベーシストとしてデビュー。1980年代半ばより海外進出を果たし、名実ともに日本を代表するロックバンドとなる。1992年に脱退するが、2000年に復帰。現在まで音楽シーンにおいて活躍を続ける。