夢野忠則の「歌謡ロードショウ!」  第一話大人ミュージック ~SHADOW CITY~

思い出のあの曲に登場するあの場所、あのシーン。聴くたびに走って行きたくなる、ノスタルジックなドライブ。
自動車ロマン文筆家の夢野忠則がいざないます。
文・夢野忠則
2019.08.02

カセットテープを聴きながら走っていた

音楽は、いつだって思い出のシーンと共にある。

まるで古い写真を見る時のように、懐かしいその歌を聴くと、忘れていたシーンが鮮やかによみがえる。だから、いくつかの曲が収められたCDを“アルバム”と呼ぶのだろうか。

クルマもまた、そうだ。

街で、かつて乗っていたダークグリーンのロードスターとすれ違えば、夕陽の沈む海岸線を走ったドライブを思い出す。風に流れた彼女の黒髪の香りと共に。

クルマでひとり、深夜の首都高を流していると無性に聴きたくなるアルバムがある。初めて聴いたのは、もう40年近くも前のことだ。

寺尾聰の「Reflections」……

このアルバムが出た時、僕は熊本の大学に通う学生だった。バイトして手に入れた、古いブルーバードUに乗っていた。

当時、中古車屋に並ぶクルマのフロントガラスには、「カセット、クーラー、アルミ付き!」と誇らしげに記したボードが掲げられていたものだ。貧乏学生のブルUは鉄チンだったけど、それでもカセットデッキは付いていた。「Reflections」をダビングしたカセットテープを、いつも聴きながら走っていた。

「道は、セクシーで、美しい」

5曲目の「ルビーの指輪」が終わると、次のイントロが静かに始まる。が、歌はいつまでも始まらず、渋い低音のスキャットだけが続く。このアルバムに収められた曲はどれも好きだけど、なかでもこの6曲目の「SHADOW CITY」がいちばん好きだった。

この曲は言葉少なに、でもだからこそ、退屈な日々に悶々とする若者の脳内に、まだ触れたことのない“都会的なるもの”を想像させてくれた。雨に濡れるフロントガラスの向こうに、きらめくシティの夜景がにじんで見えた(ような気がした)。それは少し背伸びをしてのぞき込むような、大人の世界だった。

いつか自分も都会に出て、洒落たクルマでハイウェイを駆け抜けよう。素敵な大人の恋をしよう。この曲を聴くたびに、まだ若者だった頃の自分を思い出す。生まれ育った道を、ただわけもなくかっ飛ばしていたあの頃…… クルマと音楽が、夢を運んでくれた。

ちなみに「SHADOW CITY」を聴いて、ハイウェイを駆け抜ける夢をみたのには理由がある。当時、ヨコハマタイヤのCMにこの曲が使われていたのだ。F1レーサーのニキ・ラウダがサーキットを走る映像が流れ、「道は、セクシーで、美しい」というコピーが重なるそのCMのカッコよさに、熊本の若者は瞬殺されたのだった。都会の道は、きっとセクシーに違いなか……。

大人の音楽に、説明はいらない

今、その曲を聴きながら、深夜の首都高を流している。

二十歳の頃に夢みたシーンに身をおきながら、二十歳の自分を思い出す。クルマと音楽は、時空を行ったり来たりするタイムマシーンのようなものでもあるかもしれない。都会の恋が素敵だったかどうかは、また違う曲が思い出させてくれるだろう。

今どきの歌は、どうにも文字数が多い気がする。歌が説明的になった。説明的な歌はわかりやすいが、そのぶん想像力をかき立てにくいように思う。つまりお子ちゃま相手の歌なのだ、なんて言うと、いかにも自分が年寄りめいて嫌ではあるけれど。

思い出のシーンに説明はいらない。大人の音楽とは、ドライブとは、そういうものだろう。おや、もう最後の曲か。SASURAI……このタイトルもまた、好きだったな。

この記事を書いたライター

夢野忠則

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト兼自動車ロマン文筆家。

現在の愛車は手に入れたばかりのジムニーシエラと、トライアンフ・ボンネビルT120、ベスパET3 125。

   

カテゴリ

横浜ゴム株式会社
あなたにおすすめの記事