「たら・れば」から始まる、夢を信じて

2022.11.04

遅ればせながら、新・国立競技場に行ってきた。
 
ラグビー日本代表とニュージーランド代表(オールブラックス)との一戦(2022年10月29日)。入場者数は新しい国立競技場の新記録となる6万5188人!これまでの人生の中で、あんなに大勢の人が集まったのを見たのは初めてである。
 
試合の結果はご存じのとおり、最後に日本代表が追い上げたけれど、いま一歩及ばずの惜敗。それでも相手は天下のオールブラックスである。我らが日本代表はホントに強くなった。観客の多さと併せて、青春時代のほとんどを楕円のボールに懸けてきた身としては感慨深いものがある。
 
試合終了間際に日本代表がトライを奪った時には、スタジアム全体が興奮のるつぼと化したけど、残念ながらそこでノーサイド。残り時間が、あと3分あったら… そんなため息まじりの声が、周囲から聞えてきた。
 
あと3分あれば、もしかしたら逆転できたかもしれない…。
 
もちろんスポーツに限らず、人生において「たら・れば」の話をしても、少なくとも当事者にとっては意味がない。あの時、こうしていたら、ああしていれば、と悔やんだりすることは多々あるけれど、それは後の祭り… 運命と諦めるしかない。
 
思い起こすほどに、悔いは増すばかり。

だけど、と思う。
 
人は、その「たら・れば」の先に、「もしかしたら叶えられたかもしれない夢」を見るのではなかろうか。もし、あと3分あったら…。それは儚い物語ではある。でも、だからこそ人の夢なのだろう。
 
「たとえ、あと30分あったとして勝てなかったに違いない」と思うより、「せめて、あと3分あったら勝てたかもしれない」と思えるほうが、夢はつながる。来年のワールドカップが楽しみになるじゃないですか。
 
たとえば僕らが小説や映画に感動するのも、そこに「たら・れば」の夢があるから。もしも王女様と恋に落ちたら… 宇宙人と友だちになれたら… 自分に超能力があれば… 実際には起こらない、でも、もしかしたら起こり得たかもしれない無限の夢を、小説や映画は見せてくれる。

いつだって、夢は「たら・れば」から始まる。
 
スポーツや小説や映画じゃなくたって、「たら・れば」の夢なら誰だって見ることができる。起こったことは後の祭りかもしれないけれど、まだ起こっていないことなら祭りの前のお楽しみだ。
 
大人になったら、免許を取ってスポーツカーに乗りたい! から始まって…
 
もしも宝くじが当たったら、どのスーパーカーを手に入れようか。
 
いつか3台分のガレージを建てたら、どんなクルマを並べようか。
 
目の前のこの道をずっと走り続ければ、どこにたどり着くのだろう。
 
思えば、ずっと「たら・れば」で生きてきた気がする。
 
そっか、だからクルマ馬鹿と呼ばれるのだな、きっと。


この記事を書いたライター

夢野忠則

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト兼自動車ロマン文筆家。

現在の愛車は手に入れたばかりのジムニーシエラと、トライアンフ・ボンネビルT120、ベスパET3 125。

   

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