インターネットと雨の因果関係について

2021.07.09

「雨」をテーマにした歌は、たくさんある。すぐに思い浮かぶだけでも、と指を折り始めて気づいた。どれも古い曲ばかり……。
 
もちろん、昭和生まれのおじさんが自分の記憶の引き出しを漁っているのだから、新しい曲が出てこないのは当然かもしれない。だけど、はたして、それだけが原因だろうか?
もしかしたら、最近は「雨」をテーマにした歌そのものが少なくなっているのではないか?
 
気になってネットで「J-POP年間ランキング」を検索してみると、2019年も2020年も、タイトルに「雨(もしくはRain)」という言葉が入ったシングル曲はトップ50の中にはない。
かろうじて雨につながる歌として菅田将暉の「虹」がランクインしているけど、この曲にしても歌詞の中に「雨」という言葉は出てこない。
 
かつて雨は、歌に欠かせない題材のひとつだった。人は雨に、儚く切ない心情を託して歌ったものだ。

「雨のウェンズデイ」に聞える「雨音はショパンの調べ」であり、それは時に「水色の雨」であり、時には「冷たい雨」だった。「雨の御堂筋」で「傘がない」と気づいて、「雨に濡れても」「雨に唄えば」、そこにはいつも「雨の物語」があった。
「雨上がりの夜空に」思ったものさ、明日も「晴れたらいいね」と……。

いつ頃から「雨」にまつわる歌が少なくなってきたのか、を詳しく調べてみたら面白そうだ。
その検証はぜひやってみたいところだけど、机上の仮説として思いつくのは「ネット環境の充実と雨歌の減少との因果関係」である。

インターネット環境の充実によって、人々の楽しみは天気に左右されにくくなった。
外が雨であろうと、いつでもゲームで遊べるし、SNSで大切な人ともつながっていられる。だから、雨だからといって切ない思いをすることもなければ、メランコリックになることもない。雨音に耳を傾けることも、雨上がりの夜空を見上げることもない……。
 
あくまでも、昭和生まれのおじさんの仮説です。
 
雨で憂鬱になったり切なくなったりしないのなら、それは幸せなことかもしれない。だけど、かつてたくさん歌われたように、雨だからこそ感じられる特別な思いもある。
 
たとえば、雨の日に大切な人とドライブに出かけてみれば、車室内には普段よりも密度の濃い時間が流れるはずだ。窓の向こうの景色が滲んで見えるぶんだけ、表情や声や伝えたい思いが、いつもより鮮明になるから。

クルマは、降りしきる雨を「ドラマティック・レイン」に変えてくれる。
フロントウインドウに落ちる雨粒が、まるで音符のように……。
 
もちろん「雨のハイウェイ」には、タイヤの点検をお忘れなく。

この記事を書いたライター

夢野忠則

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト兼自動車ロマン文筆家。

現在の愛車は手に入れたばかりのジムニーシエラと、トライアンフ・ボンネビルT120、ベスパET3 125。

   

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