
心地よさとは、なんだろう?
先日、住宅展示場に建てられた某住宅メーカーのモデルハウスで、話題の「AIな暮らし」を体感してきた。AIスピーカーに向かって、「おはよう!」と声をかけると、寝室のカーテンが自動的に開いた。「おやすみ……」と言えば、天井の照明が自然に消えるらしい。
「暑い!と言えば、室温が自動的に下がるのですか?」と尋ねると、営業マンは自慢げに、「全室トータル空調システムで管理しているので、一年中、室温の調整は必要ありません」と答えた。さらには建物の気密性が高いので、火事になっても空気が遮断されて炎は消え、室内の延焼を防いでくれるそうな。
「すごいですね!」と感心しながら、こんな家に暮らしていたら、息がつまりそうだな、とも思った。ちなみに僕が若い頃に借りていた古い一軒家は、すきま風で寝ていると髪の毛が揺れた……。
朝起きたら自分でカーテンをガバッと開けて、窓も全開にして、夏だろうと冬だろうと澄み渡った空を見上げながら、腕を高く伸ばして大きく息を吸いたい。心地よさって、そういうものではないのかな。
カーテンが自動的に開閉したり、室温が保たれたり、空気が遮断されたりするのは便利ではあるかもしれないけど、心地よさとは、ちょっと違う気がする。僕らはホテルに暮らしているわけではないから。
もっと便利に、もっと快適に、とコマーシャルは連呼するけど、その結果、たとえば季節感がこの国から消えつつある。
冬の風物詩だった「コタツでみかん」なんてシーンは、すっかり過去のものだ。生活の中心がフローリングの部屋となり、スマホをいじるのに手が汚れる食べものが嫌われるご時世とあっては、それも致しかたなしか。
エアコンのおかげで、夏でさえ住まいの窓は開けられることがなく、今では風鈴の音も蚊取り線香の香りもない。そして気がつけばクルマも、春だろうと秋だろうと、その窓が下ろされるのは駐車券を受け取る時くらいだ。四季折々の風を感じながら走るのもまた、ドライブの楽しみではなかったか。
さらには近い将来に運転する必要までもなくなったとしたら、はたしてその動くホテルのような乗りものは人に心地よいのだろうか。クルマは進化と引き換えに、クルマならではの楽しさや心地よさを置き去りにするのか?
いやいや、そんなことはありません。僕らにはオープンカーがある。それは、いつだって光と風の乗りものだ。オープンカーは、より便利で快適である必要はない。降り注ぐ陽の光を浴びて、風に巻かれながら走れば、これ以上いったいなにが必要だろうかと思う。
オープンカーの幌は、屋根ではなく傘である。真夏には日傘であり、梅雨時には雨傘なのだ。だから、いつも傘を差して歩く人がいないように、オープンカーの幌は基本的にたたんでおくものだと思う。
と考えると、日傘が必要な夏よりも、オープンカーは冬がいい。帆をガバッと開けて、冬の朝の冷たく澄んだ空気のなかを、ヒーター全開で走ってごらんなさい。頭寒足熱、茶の間でコタツに入っているような、あのぬくぬく感がよみがえる。
オープンカーは、たとえ便利でなくてもコストパフォーマンスは抜群である。なぜなら、どんな高級車だろうと、どんなポンコツだろうと、見上げる空の青さや星の輝きは同じなのだから。そして走り出せば、どんなオープンカーにも、もれなく季節がついてくる。
心地とは、ココロの着地点のことだと思う。
この記事を書いたライター

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト兼自動車ロマン文筆家。 現在の愛車はGT仕様のトヨタPROBOX(5MT)と、普通自動二輪免許取得と同時に手に入れたハスクバーナSVARTPILEN401、ベスパPX150。