温泉は旅の名脇役であり、時に主役となる。

温泉は旅の目的となり得るか?「温泉旅行」という言葉があるくらいだから、もちろんなり得ると思う。けれども、たいがいの場合には、温泉はいつも旅の脇にある。
2018.09.25

温泉は旅の目的となり得るか?

「温泉旅行」という言葉があるくらいだから、もちろんなり得ると思う。けれども、たいがいの場合には、温泉はいつも旅の脇にある。

今年は、春に群馬の草津温泉、初夏に長野の大町温泉郷に寄ったが、いずれも自転車のイベントがらみのことだった。山岳コースを走った後に、疲れた身体を温泉で癒して帰京したのである。キャンプの夜に近くの温泉に行くこともあるし、ドライブの途中で立ち寄るのはいつものことだ。僕にとっての温泉は、目的ではないけど欠かせない、旅の名脇役といった場所なのだ。

大町温泉郷の、とあるホテルの露天風呂は、周りをぐるりと(天井も)金網で囲ってあった。入口には「猿の入湯を防ぐため」と断り書きがあったが、猿たちは、檻の中で赤ら顔でお湯につかる人間を、きっと笑いながら見物しているにちがいない。温泉なんて大嫌い、と言う人にも猿にも、今のところはお目にかかったことがない。

温泉に入ることを旅の目的にできたら、つまり温泉旅行とは、なんて贅沢な旅だろうと思う。その旅にはお湯だけでなく、たっぷりの時間もあるということだから。今はまだ、そこまで時間を豊かに使えない。だから温泉は旅の途中にあって、結果として温泉の思い出は、いつも旅のさまざまなシーンと共に記憶に刻まれる。

九州から上京する春、父と温泉に行った。

お父さんが仕事で大分まで行くから、あんたがクルマを運転して一緒に行きなさい、と母が言った。息子が家を離れてしまう前に、最後に二人きりの時間を、母は父に過ごさせたかったのだと思う。

大分からの帰りに、阿蘇の温泉に泊まった。夜、広い風呂場には平日だったこともあって他に客はおらず、父は僕に、おい、なんか唄え、と言った。その時に、僕が湯船につかりながら何を唄ったかは憶えていないけど、次に父が唄い出した歌は、忘れられない。

父は、ビートルズの「イエスタデイ」を唄った。

父の歌を聴くのは初めてで、普段から父が音楽を聴いている姿など見たこともなかったし、なによりも、それがビートルズだったことに驚いた。途中で父は歌詞を忘れ、あとを僕が継いで唄った。最後は、二人で唄った。僕はなぜだか声がつまり、だけど、父は唄い続けた。 I believe in yesterday~ と何度も、ずっと。その歌声は浴場の天井に響き、温かな雫となって、さらりとしたお湯に落ちた。


あの晩のことを父は憶えているだろうか。僕は、憶えている。だけど、それは昨日のことじゃない。遠い遠い、はるか昔のことだ。

今度、実家に帰ったら、レンタカーを借りて父と温泉に出かけよう。湯船につかって、イエスタデイを唄いなよ、と言ったら父は唄ってくれるだろうか。きっと、そんな歌はもう忘れてしもうた、と言うだろう。だけど、じゃぁ明日の歌を唄おうか、と89歳になる父には、もう言えない。「かあさんの歌」でも唄いますかね、二人で。

どうやら、初めての温泉旅行になりそうだ。そんなに時間はないけれど。話すことが、そんなにあるわけでもないけれど。少しくらい贅沢をしてもいいだろう。唄い疲れたら、露天風呂に並んで、ただ二人で星空でも眺めていよう。

温泉は、親子の心もまた裸にしてくれる。

いくつになっても。いや、歳を重ねるほどに。

この記事を書いたライター

夢野忠則

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト兼自動車ロマン文筆家。愛車は一万円で買った90年式のVWゴルフ2と、数台のヴィンテージバイク(自転車)



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