90年式のゴルフ2に乗っている。
手に入れてから、もう六年になる。タイヤやオイル、消耗品などは小まめにケアしてきたが、ドレスアップにはまったくの無頓着である。化粧したところで百万円のクルマに見えるわけじゃない。ありのまま、が長い付き合いの秘訣なのだ。
いろんなクルマを乗り継ぎ、あれやこれやと散財をくり返して、気がつけばこのポンコツとの付き合いがいちばん長い。気のおけないゴルフ2との暮らしは心地よく、別れる理由が見つからない。
そしてもう一台の愛車は、こちらも三十年ほど前に製作されたクロモリのロードバイクである。ロードバイクに乗っていなかったら、ゴルフ2の代わりにロードスターを手に入れていたかもしれない。サイズも使い勝手もなんら過不足のないゴルフ2だが、ただひとつ、風を受けながら走ることはできない。ロードバイクなら、もれなく風がついてくる。
あれは何歳の時だったろうか。初めて自転車に乗れた日のことを、おぼろげながらに憶えている。「大丈夫だ、後ろで支えているから」という父の言葉を信じてペダルを漕ぎ出し、ヨロヨロと数十メートル進んで草むらに突っ込むと、父は離れたところで「乗れたじゃないか」と笑っていた。
絶対に手を離さないと言った父の、それは初めての嘘だった。
親が自転車から手を離した瞬間に、子は生まれて初めての自由を手に入れる。それは旅の始まりでもある。まずは近所の友だちの家まで、次には隣の町まで。坂道を上ったり下ったり寄り道や回り道をしながら、その旅は続いていく。子を旅立たせるために、親は初めての嘘をつく。
小さな子ども用の自転車は、やがて中学生の乗るスポーツ車になり、途中でママチャリになったりしながら、今はロードバイクに乗っている。自転車の旅は、いつも風と共にあった。追い風だったり、向かい風だったり。
やはり幼い頃、庭で落ち葉を燃やしていると、薄く白い煙が自分のほうにばかり漂ってくる。場所を変えても追いかけてくる。どうして僕のほうばかり?と煙で涙目の息子に、父は二度目の嘘をついた。
風は、馬鹿のほうに吹く……。
以来ずっと、風は馬鹿のほうに吹くのだと信じて生きてきた……わけではないが今、ロードバイクで向かい風に苦悶しながら、もしかしたらあれは本当だったのかもしれない、と思う。
追い風に背中を押されて走ることもあるはずなのに、その時には気がつかない。人は辛いことには敏感だが、自分の幸せには気づかず、なぜ、いつも自分ばかりが辛いのか、と不平を口にする。きっと風は、そんな馬鹿のほうに吹くのだろう。
ゴルフ2のリアハッチには、サイクルキャリアを装着している。ポンコツがいつ故障しても自転車で帰還できるようにか、と友人は笑うが、そうじゃない(それもあるけど)。踏めばどこまでも走ってくれるゴルフ2と、漕がなければ倒れてしまうロードバイク。どちらもきっと必要なのだ。ありのままの自分であるために。
向かい風なのか、追い風なのか、立ち止まっていてはわからない。だから走り続けよう。クルマと自転車があれば、いつでもどこでも走り出せる。
ルームミラーの向こうで、サイクルキャリアに載せたロードバイクの銀輪がきらりと光る。僕はゴルフ2に、風をのせている。

この記事を書いたライター
スーパーカーブームを肌で知るフリーランスライター。スキーやスノボ、バスフィッシングなど一通りの趣味にのめり込み、今も残っているのがモーターサイクルと自転車。現在は主にその2つのジャンルで執筆中。かつてスーパー耐久参戦チームの裏方をした経験あり。