軽自動車で、快適・軽やか・個性的なカーライフ!

学生時代、米屋でアルバイトをしていた。
当時の記憶をたどると、昼前に起きて米屋に行き、午後にどうしても出なければならない(出欠をとられる)講義に出て、夕方からラグビー部の練習があって、それが終わったら仲間と酒を飲むか、マージャン卓を囲むか……なんとも色気のない毎日だった。
2019.01.21

学生時代、米屋でアルバイトをしていた。

当時の記憶をたどると、昼前に起きて米屋に行き、午後にどうしても出なければならない(出欠をとられる)講義に出て、夕方からラグビー部の練習があって、それが終わったら仲間と酒を飲むか、マージャン卓を囲むか……なんとも色気のない毎日だった。

米屋のアルバイトは、出勤時間と勤務時間が自由だったからありがたかった。時間がある時に店に行って、店主の代わりに注文品を配達して回るのである。30kgの米袋、醤油の一升瓶が6本、あるいはサイダー瓶が1ダース入った木箱、冬になれば灯油、年末には餅…… 米屋の扱うものはどれも重たくて、だからラグビー部や柔道部に声が掛かる。

そうした重たい品々を米屋の軽トラックに積み込んで、指定されたお客の家を配達して回る。米袋を担いで団地の階段を上ったりしながら。一升瓶の入った木箱のなんと持ちづらいことよ。餅だって数十個となれば、そうとうな重さになる(鏡餅まであるから)。

夏は暑く、冬はかじかみ、けっして楽な仕事ではなかったけど、それでも(むしろ楽しく)続けられたのは、軽トラを自由に乗り回せたからだった。あの頃、免許を取得したばかりの(色気のない)男子にとって、クルマの運転以上に楽しいことはなかった。運転が最高の楽しみだったなんて、今の学生さんには理解してもらえないかな。3Kな仕事と敬遠されるのだろうか。

僕はクルマの運転を、米屋の軽トラで覚えた。

のどかな田舎道を、狭い住宅街の路地を、寄り道したり遠回りしたりしながら走り回った。豆腐屋の青年がコップの水をこぼさずに走る、という漫画があったけど、米屋の青年は軽トラの荷台にぎっしりと積んだ灯油タンクで(タップン、タップンと車体の揺れること!)、コーナーリングの腕を磨いたのであった。

あれから数十年の時が経って、何台ものクルマを運転してきたが、あの米屋の軽トラほど運転しやすく、また運転している時が楽しかったクルマはない。

自分が若かったこともあるけど、クーラーもなくAMラジオしか聴けない軽トラの運転があんなに楽しかったのは、なによりもクルマが小さくて軽くて、MTを操りながら、まるで手足のように自在にブン回せたからだろう。身の丈にフィットしたクルマだったから、きっと運転する楽しさの本質みたいなものに触れることができたのだ。

大は小を兼ねると言うが、そうとばかりは限らない。小さいからこその楽しみだってある。必要なものを小さいなかでギュッと完結してみせる、その感性や知恵こそは世界に誇るわが国の文化であり、だから軽自動車もまた日本ならではの文化なのである。

僕が軽トラで走り回っていた時から、もうずいぶん時が過ぎたけれど、町には今日もたくさんの軽自動車が、ますます元気に走っている。とくに、ここのところクルマ好きの琴線をも刺激する、さらに魅力的で個性あふれる軽自動車が次々に登場している。

小さなボディに小さなエンジンを搭載しながら、しかし安易なクルマづくりではなく、先進の装備に快適な空間と乗り心地を確保しつつ、荷物は積めるわ、速いわ、屋根は開くわ、道は選ばないわ……。軽自動車に「それなり」なんて発想はないのである。

個性もまた、大が小を兼ねるわけではない。むしろクルマは小さいほうが個性を発揮しやすいのかもしれない。アイデアや工夫の違いが出るから。堅苦しく重たい靴は脱いで、自由に軽やかに行こうじゃないか。この星で、こんなに個性的なクルマたちを楽しめるのは僕らしかいないのだ。

快適に、軽やかに、個性的に。そんな3Kなら、いかが?

この記事を書いたライター

夢野忠則

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト兼自動車ロマン文筆家。愛車は一万円で買った90年式のVWゴルフ2と、数台のヴィンテージバイク(自転車)



カテゴリ

横浜ゴム株式会社
あなたにおすすめの記事