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2017年08月07日

1970年代末、高度経済成長による消費社会の到来、モータリゼーションの進展などを背景に、タイヤはそれまでの実用一辺倒の生産財から、使うことが楽しい消費財へと変わろうとしていた。こうした時代変化をいち早く捉え、1980年に展開したのがADVAN(アドバン)、ASPEC(アスペック)、GRAND PRIX(グランプリ)というスリーブランド戦略だった。業界に先駆け、タイヤに「走り」、「快適性」などの個性を持った数々のヒット商品を生み出し、クルマ好きの若者を中心に横浜ゴムの企業イメージを大きく向上させた。

No. 2

スリーブランド戦略で新市場を創造~時代変化をいち早く捉える~

「バイアス」から「ラジアル」へ

1960年代後半、欧州生まれのラジアルタイヤが日本でも生産されるようになった。それまで主流だったバイアスタイヤは、コードがタイヤの中心線に対し斜め(バイアス)に配され、乗り心地は良いが剛性や耐久性に弱かった。一方ラジアルタイヤは、タイヤを横から見て中心からカーカスコード(タイヤ骨格)がラジアル(放射状)方向に配され、トレッド部にベルトを巻き接地部分のカーカスをしっかり固めている。このため乗り心地は硬いが剛性が高く、高速走行性能、燃費、耐久性などに優れていた。1963年に名神高速道路が部分開通し、日本でも本格的な高速走行時代が到来する中、乗用車用タイヤ生産に占めるラジアルタイヤの比率は急速に高まり、1967 年にわずか1%だったものが、1980年には65%へと拡大した(2016年は99%)。

乗用車用ラジアルタイヤの構造乗用車用ラジアルタイヤの構造

G.T. スペシャルを全面展開

ラジアル時代の到来に応え、横浜ゴムでも1967年から乗用車用ラジアルタイヤ「G.T. スペシャル」の販売を開始した。以来、日本初の70シリーズラジアルタイヤ「G.T. スペシャル・スーパーモデル70」(1969年)、日本初の乗用車用スチールラジアルチューブレスタイヤ「G.T. スペシャル・スチール」(1971年)、セルフパンクシール構造の「G.T. スペシャル・シーレックス」(1975年)などを投入しラインアップの充実を図った。しかしラジアルタイヤが登場して10年が過ぎた1970年代後半、ラジアルはもはや当たり前の技術となり、「丈夫で長持ち」といったラジアルタイヤの実用性を前面に打ち出しただけでは、ユーザーの目に魅力ある商品とは映りづらくなってきた。

横浜ゴム初の乗用車用ラジアルタイヤ「G.T. スペシャル(Y-417)」(1967年)横浜ゴム初の乗用車用ラジアルタイヤ「G.T. スペシャル(Y-417)」(1967年)

各種商品をラインアップした「G.T. スペシャル」のカタログ(1973年)各種商品をラインアップした「G.T. スペシャル」のカタログ(1973年)

モータリゼーションの進展と新しいユーザー層の出現

1960年代後半から1980年代にかけ、日本のモータリゼーションは急速に進展した。1966年、わずか229万台だった日本の乗用車保有台数は、1980年には2,275 万台と10倍にも拡大し、クルマは仕事だけでなく遊びにも欠かせない生活用品となった。さらに戦後のベビーブーム期に生まれた世代がクルマの大きな需要層として登場してきた。彼らにとってクルマは生活様式に結びついた個性的かつファッショナブルな道具だった。従来のファミリーカーに加え、スタイル志向の強いハードトップ、クーペも好まれるようになり、性能面でも高速安定性が良く、発進加速の優れたスポーティなクルマの需要が増大した。しかしこうしたクルマ社会の変化に、横浜ゴムは十分対応しきれておらず、新しく登場してきた若者層の心を捉える商品づくりは手付かずの状態だった。

乗用車保有台数の推移(単位:千台)乗用車保有台数の推移(単位:千台)
資料:一般財団法人自動車検査登録情報協会

好みでタイヤが選ばれる時代が来る

本来クルマは走って楽しいもの。これからは欧州車に代表される高性能車の人気が高まり、タイヤにもそれに相応しい性能が求められる。1970年代末、横浜ゴムの若手スタッフらで作られた研究会はクルマ社会の未来をこう予測した。研究会はタイヤが好みで選ばれる時代が来ると考えた。総合電気メーカーはモーターから電球、オーディオまでを作る。モーターはタイヤメーカーでいえばトラック・バス用タイヤに相当する生産財。電球は寿命がきたら近所のお店で買い換える消費財で、すり減ったら取り替える一般の乗用車用タイヤに近い。しかしオーディオはマニアが捜し求めてでも好みに合う商品を選ぶ高度な消費財。当時わずかに欧州製高性能タイヤが輸入販売されマニアの間で人気を集めていたが、こうしたタイヤを日本のタイヤメーカーはまだどこも作ってはいなかった。

ブランド名をつけ市場を細分化する

さらに研究会は商品にブランド名をつけ市場を細分化することを考えた。それまでタイヤ選びのポイントはメーカー名だった。しかし「走り」に徹したブランド、「快適性」を追求したブランドなど、商品特性を変えたブランドを増やせば、選択のポイントはブランド名に移る。そうすれば規模の差が勝敗を決するメーカー同士の全面戦争から、丸木橋上での一騎打ち戦に持ち込める。それぞれの市場で互角の戦いができれば全体で勝利することも可能だ。研究会は約1年半をかけ詳細な事業プランをまとめた。骨子は、戦後生まれの若者が欲しいと思う新商品を開発・販売し、これを契機に今後はブランド戦略で戦おうというものだった。

1980年、スリーブランド戦略を開始

こうして1980年から開始したのがスリーブランド戦略だった。この年新商品として「ASPEC AX-323」を発売、合わせて1978年から発売していた「ADVAN-HF」、さらに新開発の「G.T. スペシャル GRAND PRIX GX-501」(後にG.T. スペシャル名は使用せず)を加えてスリーブランドとし、「個性あるタイヤ」市場の創造に乗り出した。ユーザーに対し、各タイヤのブランドイメージを明確に訴えた。優れたウェット性能、高速走行性能を備えた「ADVAN」は「極限の走り」を訴えた。1980年から国内最高峰の全日本F2選手権にレーシングチーム「TEAM ADVAN」として参戦を開始し、モータースポーツと「ADVAN」を重ね合わせて商品特性をアピールした。「ASPEC」は「成熟した大人の走り」を訴えた。経験を積み重ねることで、本物のクルマや走りを知る大人が満足できる走行性能、静粛性を備えたタイヤであることをアピールした。イメージキャラクターとして元F1ドライバーのニキ・ラウダを起用した。「GRAND PRIX」は「若い走り」を訴求した。コストパフォーマンスに優れながら、なおかつ高い走行性能を備えるタイヤとして、走りに憧れる若者を中心にタイヤイメージをアピールした。

スリーブランド商品。左から「ADVAN-HF」「ASPEC AX-323」「GRAND PRIX GX-501」スリーブランド商品。左から「ADVAN-HF」「ASPEC AX-323」「GRAND PRIX GX-501」

スリーブランドを訴求した広告(1980年頃)。当初「GRAND PRIX」は「G.T. スペシャル GRAND PRIX」として発売スリーブランドを訴求した広告(1980年頃)。当初「GRAND PRIX」は「G.T. スペシャル GRAND PRIX」として発売

「ADVAN」の広告(1980年頃)「ADVAN」の広告(1980年頃)

「ASPEC」の広告(1985年)「ASPEC」の広告(1985年)

「GRAND PRIX」の広告(1980年頃)「GRAND PRIX」の広告(1980年頃)

横浜ゴムの企業イメージを大きく向上させる

スリーブランド戦略の実施によって横浜ゴムの国内市販用乗用車用タイヤ販売は活気づいた。またクルマ好きの若者たちを中心に横浜ゴムの企業イメージを大きく向上させた。これを契機にHPT(ハイパフォーマンスタイヤ)のヨコハマというイメージをさらに定着させるため、1983年からはタイヤラベルや広告に「パフォーマンス」マークを使用するようにした。HPT は国内だけでなく、その後欧州を中心に海外でも乗用車用タイヤの大幅な販売増に繋がっていった。「ASPEC」「GRAND PRIX」は1990年代末までシリーズ商品を発売した息の長いブランドとなった。さらに「ADVAN」は現在、ヨコハマタイヤのグローバル・フラッグシップ・ブランドに位置づけられ、市販用、新車用を問わずグローバルに販売を続けている。スリーブランド戦略は今日の横浜ゴムを形づくった大きな事業戦略のひとつだった。

1983年から使い始めた「パフォーマンスマーク」1983年から使い始めた「パフォーマンスマーク」

*次号では、およそ60年間に渡る横浜ゴムのモータースポーツ活動の軌跡をご紹介する予定です。