ミニバン文化論

2018.07.02

乗りたいクルマとは、なんだろう?

快適なクルマがいいとか、楽しいクルマがいいとか、さまざまな視点があるように思うが、その視線の元をたどってみると、特にクルマが好きな人と、あくまでも生活の必需品としてのクルマを欲している人とは、異なる瞳に行きつくようだ。

なぜ、乗りたいクルマを見つめる瞳が異なるのか。当然だろうと思う。こんな仮説を立ててみた。生活を豊かにしてくれる「快適なクルマ」とは「文明としてのクルマ」であり、クルマ好きが望む「楽しいクルマ」とは「文化としてのクルマ」なのである……。

文明と文化について、かつて司馬遼太郎は、こう定義した。文明とは「だれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」であり、文化は「むしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊な(普遍的でない)もの」である、と。

たとえば、「信号機」は合理的かつ機能的にできていて、だから世界中で通用する文明の利器である。一方で、毎朝わざわざ横断歩道に旗を持って立ち(なんたる不合理!)、子どもたちの安全を守る「緑のおばさん」は日本ならではの文化ということか。だれにとっても快適なクルマは文明の成果であり、クルマ好きが愛する楽しいスポーツカー(狭くて暑苦しい)は、不合理で特殊な文化の糧である……。

クルマをたくさん売ろうとするなら、そのデザインや性能は普遍性や合理性を追い求めることになる。つまりは最大公約数なのだから、どれも似たり寄ったりになって当然である、と結論づけたいのではない。ならば、なおのこと乗ってもらうための差別化を図る最後の砦は、まさに文化ではないのか、と思うのだ。

はたして、日本車に文化はあるか?

ある。不合理で、特定の集団においてのみ通用する特殊なクルマ…… わが国には、ミニバンがある。

ミニバンなんて、アメリカに行けばたくさん走っているじゃないか、と思われるかもしれないが、かの国には日本のようにゴージャスなミニバン(フルサイズバンより小さいバン)は存在しないらしい。彼らにとってのミニバンは、ピックアップトラックなどと同じく実用的なものでしかないのだろう。ましてや「大型ミニバン」なんて不思議な言葉は、この国でしか通じない。

ミニバンは、日本の文化である。

すでに街なかで見かける最近のミニバンは、フロントグリルからして相当なインパクトがある。あの顔つきにして、装備にしても乗り心地にしても最高級車並み、あるいはそれ以上なのだから、その不合理性(?)には、きっとガイジンさんも驚いているに違いない。だがしかし、日本の文化であると胸を張るならば、さらにとことん日本らしさを突きつめていただきたい。

目指すべきは、文明的なリビングルームやホテルの快適さや豪華さではなく、旅館や茶の間の心地よさである。安全性能や情報通信性能には、わが国が世界に誇る最先端テクノロジーを駆使し、各部の素材には伝統工芸の粋(すい)を、仕上げには職人の匠の技を活かしながら。外装には、オプションとして「痛車仕様」が選べたりして。

アメリカのフルサイズバンと比べる必要などない。もはやミニでもなければ、バンでもない、日本ならではのそのクルマを、なんと呼ぶか。その答えが見つかった時、本当の意味での文化となり得るのだろうと思う。

ライター紹介

夢野忠則

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト。
クルマ雑誌「ナビカーズ」では自動車ロマン文筆家として人気コラム「クルマ馬鹿で結構!」やドライブエッセイを連載中。愛車は一万円で買った90年式のVWゴルフ2。ヴィンテージバイク(自転車)

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