プレミアムフライデーの陽が暮れる前に

2018.06.26

バブルの頃は、いい時代だった。

と実感したのは、バブルが弾けた後だった。1980年代の後半から90年代の初頭にかけて、広告の企画制作会社でプランナー兼コピーライターとして働いていた。予算があって大きな企画がどんどんカタチになっていく時代で、こりゃいいや、と思って独立したら、バブルは弾け終わっていた。提出した見積り書を見たクライアントから、ケタがひとつ多いです、と言われて、バブルの頃はいい時代だったのだな、と実感したのだった。

あの時代には「コンセプト」という言葉が、水戸黄門の印籠のように機能していた。クリエーターたちは「本企画のコンセプトは~」と得意顔でプレゼンテーションし、クライアントの担当者も「コンセプトがあやふやですね」なんて物知り顔で指摘したりしていた。「コンセプトは『本物志向』です!」と提案すれば、それでニューヨークにロケに行けたのだから、本当に夢のような時代だった。

海外ロケに行けば、夜には現地のスタッフや出演者も交えてのパーティー。制作スケジュールはハードで、こちらはヘトヘトなままヨレヨレの恰好でレストランに行くのだが、向こうの連中は一度自宅に帰り、きちんとした身なりに着替えて夫人同伴で会場に現れた。彼らには、それが当たり前のことのようだった。

仕事を終えて自宅に帰り、さらに出直してくる、なんて信じられなかった。たとえば平日、新宿で仕事が終わって、それから電車に乗って1時間かけて帰宅し、さらに1時間半をかけて銀座に出てきてパーティー…… なんて考えられますか?

もちろん住んでいる環境がまったく違うのだろうが、それに加えて彼らはオンとオフの切り替えが上手なのだろうと思った。まさにスイッチを入れたり切ったりするかのように、自在に頭を切り替えられるに違いない。

ある国の工場では、終業ベルと同時に工場中にガチャンガチャンという音が鳴り響くのだ、という話を聞いたことがある。工員は、ベルが鳴るやその場で手に持った工具を床に落として一斉に帰宅するらしい。なんとも見事な切り替えである。僕らには(きっと、あなたもそうだと思う)、それができない。

「月末の金曜を、ちょっと豊かに」を旗印に、プレミアムフライデー制度がスタートして1年以上が過ぎた。活性化しようとさまざまな催しが企画されているが、おかげさまで豊かになりましたぁ!とおっしゃる方とは、(少なくとも僕は)まだお目にかかったことがない。月末の金曜日に、15時になったから退社して好きなことをおやりなさい、と言われても、翌週の月曜日がさらに忙しくなるだけだし(月末の仕事を先送りはできないし)、余計に仕事が気になって、そもそも頭が切り替わらない……。

なんとか早く退社できたとしても、さて、どう過ごしたものか。

ひさしぶりに映画でも観るか、音楽でも聴きに行くか……。ちょっと待った。空は、まだ明るい。夜は長いけれど、夕暮れ時は短い。せっかくのマジックアワーを、映画館やコンサートホールで過ごすのはもったいない。陽が沈む前の束の間だからこそ、その時間はプレミアムなのだろう。

頭を切り替えるとは、片方を忘れ去ることじゃないか。そのための装置として、たとえばクルマやオートバイや自転車が機能する。オンタイムを置き去りにして、明るい空の下をオフタイムに向かって走り出そう。目的地は、あなたのコンセプト次第である。

肝心なのは、パソコンを閉じてエイヤッと走り出すことだ。

陽が暮れる前に。豊かな時が、泡と消えないうちに。

ライター紹介

夢野忠則

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト。
クルマ雑誌「ナビカーズ」では自動車ロマン文筆家として人気コラム「クルマ馬鹿で結構!」やドライブエッセイを連載中。愛車は一万円で買った90年式のVWゴルフ2。ヴィンテージバイク(自転車)

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