2050年の旧車たちへ。

2018.05.14

「平成29年度の乗用車市場動向調査」(日本自動車工業会)の結果を報じる新聞記事を読んだ。

大学生を含む十代、二十代を対象に実施された調査で、クルマを保有していない800人にクルマを購入する意向があるか尋ねると「購入したくない層」が五割を超えたそうである。その理由(複数回答)は「買わなくても生活できる」が33%、「駐車場代など今まで以上にお金がかかる」が27%、「お金はクルマ以外に使いたい」が25%……。クルマの購入意向があると回答した若者にしても、関心があるクルマの利用方法としては、レンタカーが71%、カーシェアが51%……。

記事はそうした結果を総じて、「クルマの維持管理費などに負担感を感じ所有にこだわらない若者が増えている傾向が浮き彫りになった」と結ばれていた。

この調査結果に対して、「やっぱり、若者のクルマ離れが進んでいるんだな」とクールに受け止める人がいれば、「いやいや、そんなことはない。調査の仕方がおかしいのだ」と、それでもなんとか幻想にしがみつきたいクルマ好きたちがいる 。調査の妥当性はわからないが、自分の息子や娘のライフスタイルを眺めていれば、若い世代のムードとしてはそんなところだろうな、とは思う。

ガレージライフなんてものに憧れるのは、おやじどもに決まっている。

「旧車」をテーマに文章を書くにあたって、そもそも旧車とはどのようなクルマだろうかと、自分なりにあれこれ考えてみた。旧車とは、なんぞや。それを定義づけないことには、旧車について語ることはできないからだ。

昔のクルマに対しては、クラシックカーやビンテージカー、ヒストリックカーなどさまざまな呼称があるが、それらと「旧車」は同じだろうか?どうも、違う気がする。ウィキペディアで調べてみても、はっきりしない。

たとえば、白洲次郎が愛したベントレーを、カーグラTVのタイトルバックに登場するブガッティを、クラシックカーとは呼んでも旧車とは言わない。ハコスカやセリカは旧車って感じがするけど、同じ国産車でも2000GTやコスモスポーツとなれば、こちらはヒストリックカーか。その違いは、なんだろう。

旧車とは、かつて人生のシーンにおいて、あるトキメキをもってすれ違ったクルマのことではないか、と思う。それは淡い初恋の相手のようなもので、その人の心の奥に永遠に存在し続ける。甘酸っぱいレモンの香りではなく、オイルとガソリンの臭いともに。

ベントレーやブガッティや2000GTやコスモスポーツを旧車と呼ばないのは、それらの名車たちが(少なくとも僕にとっては)「かつて人生のシーンおいて、すれ違ったことのないクルマ」だからだろう。だが、ハコスカやセリカは違う。遠い昔、友だちの兄貴が乗るハコスカに憧れたものだし、セリカを初めて街角で見た時は流星号が舞い降りたのかと、ときめいた。それは間違いなく人生の1ページであり、もっとおおげさに言うなら30年前の自分自身なのだ。

だからこそ、時を経てなお愛おしい。旧車とは、そういうクルマたちのことではなかろうか。青春をともに語り合った仲間を、旧友と呼ぶように。

たしかに、クルマを手に入れなくたって生活はできる。レンタカーでコトは足りるかもしれない。ならば今どきの若者たちは、これからどんなクルマとすれ違っていくのだろうか。友となにを語り、人生にどんなページを刻んでいくのだろう。

たとえば、30年後……。2050年には、「わ」ナンバーのハイブリッド車が旧車と呼ばれているのかな。

ライター紹介

夢野忠則

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト。
クルマ雑誌「ナビカーズ」では自動車ロマン文筆家として人気コラム「クルマ馬鹿で結構!」やドライブエッセイを連載中。愛車は一万円で買った90年式のVWゴルフ2。ヴィンテージバイク(自転車)

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