EVだからこそ、走りにこだわるワケがある

2018.05.14

ある時期、ポルシェに夢中だった。ポルシェ好きには二通りあって、たとえばビッグバンパーの911に恋して、そこから最良の性能を信じてより新しい911を追い求めていく者と、最高の味わいを求めてより旧い911へと想いを募らせていく者……。

後者の場合は、突き詰めればもっとも旧いモデルに行きつくわけで、そこにたどり着いてしまえば、もうその先はない。あとはその夢が覚めぬよう大切に愛し続けるほかない。時の流れに逆らいながら。真っ赤なポルシェ356Cを手に入れたクルマ馬鹿が、そうであったように。

それでも、別れはやってくる。一生モノのモノとは物のことではなく、一生その物を愛し続けられる者のことなのだと知る。そして、歳を重ねるほどに(背負うものが増すほどに)そう在り続けるのはむずかしいのだ、と自分に言い訳しながらまた次の夢をみて、だからお前は馬鹿なのだ、と笑われる。

64年式の356Cを手放した次の日には、356をいっそEVにしてしまえば“その先”があるんじゃないか、と夢をみた。なじみのポルシェ屋に相談すると、頑固おやじは冷静に言った。EV化にお金をかけるなら、その分をエンジンのオーバーホールに投じたほうが、もっと幸せになれる。たぶん、そうだ。356Eの夢は、はかなく消え去った。

そんなある日、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場するデロリアンを電気自動車に改造しようとしている男が広島にいる、という記事を新聞で読んだ。居ても立ってもいられず連絡をとって、そのF氏が上京された折に新宿の喫茶店で会った。大好きなデロリアンをEV化して、最終的には映画と同じようにバナナの皮で走らせたいのだ、とF氏は目を輝かせながら言った。その物語は、バナナ以上に甘い誘惑だった。

356Eも夢ではないかもしれないとさっそく調べてみると、驚いたことに、すでにたくさんのコンバートEV(エンジン車を改造した電気自動車)が路上を走っていた。ホンダのシティ・カブリオレ、フィアットのチンクエチェント、VWビートル……。忘れ去られようとしていた旧車たちが、モーターという新たな息吹を得て音も立てずに走りまわっていた。ガソリン車から電気自動車に乗り換えるのではなく、目の前のクルマに乗り続けることもまたエコなのだ。電気自動車の可能性をみた気がした。もう十年も前の話だ。

2010年に日産からリーフが登場した時、「EV時代の到来!」とメディアは騒ぎ立てたが、とっくに自分たちでEVを作っていた面々は、いたってクールだった。またか、と。その意味を計り知れずにいると、F氏が「誰が電気自動車を殺したか?」(Who Killed the Electric Car?)という映画を勧めてくれた。さっそくDVDを借りて、2006年に製作されたというその作品を観た。90年代に登場しながら、なぜか姿を消してしまった電気自動車の顛末を描いたドキュメンタリーだった。ハードだけで、時代が変わるわけではない。

ついに今度こそEV時代の到来か、と思わせるニュースが世界中を飛び交っているが、はたして車会(しゃかい)の未来やいかに。確かなのはガソリンだろうと電気だろうと、人がクルマを走らせて楽しんで、はじめて新しい時代はやって来るということ。

EV時代にクルマから音も匂いもなくなったら、残される五感の楽しみはデザインと味わいと、タイヤを通して伝わる疾走感だろう。だからこそ、走りにこだわりたい。新しいドアを開けて、新たな道を楽しもう。

ライター紹介

夢野忠則

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト。
クルマ雑誌「ナビカーズ」では自動車ロマン文筆家として人気コラム「クルマ馬鹿で結構!」やドライブエッセイを連載中。愛車は一万円で買った90年式のVWゴルフ2。ヴィンテージバイク(自転車)

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