帰省とは、家族のつながりを確かめるもの

2018.05.14

子どもたちが幼かった頃には、家族全員でクルマで帰省したものだ。四人分の飛行機代は馬鹿にならなかったし、当時はランクルに乗っていて、荷室に押入れの衣装ケースをそのまま積み込んで帰れたから楽だった。

途中で渋滞につかまり予定の時間を大幅に遅れて実家に帰り着くと、母は毎度同じことを孫たちに言った。

あんまり遅いから、じいちゃんの首が伸びたばい。

そう言う母の首も、少しだけ伸びているように見えた。

「子は父の背中を見て育つ」と言うけど、本当にそうだろうか。うちの父は、昔からいつも本を読んでいるか、あるいは酒を飲んでいるかで、記憶にあるのは父の背中というより、その横顔である。むしろ憶えているのは、母の背中のほうだ。台所に立って茶碗を洗う背中、物干し竿に洗濯物を干す背中、縁側に座ってそれをたたむ背中……。

わが子の生き方に対して言いたいことがたくさんあっただろうと思うが、母はなにも言わず応援してくれた。母は、背中で語っていたのだなと思う。笑う背中もあれば、泣いている背中もあっただろう。そんな母の生きざまに思いを寄せることはせず、そこに背中があるのが当たり前だと生きてきた。母の思いに気づいた時には、もう母はいなかった。

年老いてからは、帰省してクルマに乗るたびに、あんたが運転するクルマに乗るのはこれが最後かもしれんねぇ、と母はつぶやいた。そんなことはないさ、と言いながら、本当にそうなるかもしれないことなど想像もできずにクルマを走らせていた。

東京に戻る朝、いつも母は門柱の前に立ち、走り去っていく子と孫を、ずっとずっと見送っていた。小遣いをもらう時くらいしかろくに話もしなかったくせに、小学生だった息子はリヤウインドウ越しに手を振りながら泣きじゃくった。ルームミラーの向こうで小さくなっていく母の背中ではないその姿を見ながら、僕はふるえそうになる声で息子に、もう泣くな、と言った。

子どもたちも大人になって、今では家族揃って帰省する機会はほとんどない。思えば、家族みんなで肩を触れ合せるようにして過ごせたのは、あの頃の帰省の道中のクルマの中が最後だったかもしれない。帰省とは、家族のつながりを確かめるためのものだと思う。

母が亡くなって十年以上が経つ。

もう運転するのは危ないから、と妹が説得し父は米寿を前に運転免許証を返納した。乗っていたクルマは姪っ子に譲り、これで心配の種がひとつ減ったと思ったが、運転しなくなった父は外出も減り途端に老け込んでしまった。すっかり酒に弱くなり、酔っ払うと父は、血管の浮き上がる自分の細くなった腕を見下ろしながら、年寄りになってしもうた、と戸惑うように言った。

ずっとめぐり続けてきた季節も、メリーゴーランドのように少しずつ速度を落としながら、やがていつか止まる時が来る。終わりのないドライブはない。だけど、いや、だからこそ走り続けたい。たくさんの思いや願いを積み込んで、大切な人に届けたい。

帰京する息子を門柱の前で見送る目の前の父は、いつのまにか小さくなった。交わす言葉は、お互いにひとつしかない。

元気で。

ルームミラーは見ない。また、帰ってくるから。次はクルマで一緒に海を見に行こう。父が父となり、母が母となった、僕の生まれたあの海へ。だから、元気で。

ライター紹介

夢野忠則

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト。
クルマ雑誌「ナビカーズ」では自動車ロマン文筆家として人気コラム「クルマ馬鹿で結構!」やドライブエッセイを連載中。愛車は一万円で買った90年式のVWゴルフ2。ヴィンテージバイク(自転車)

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